コラム経営の羅針盤

「である」ことと「する」こと、「し続ける」こと 2013/07/08 KAIKA

日本能率協会 JMAマネジメント研究所 シニアマネジャー
山崎賢司

◆「である」ことと「する」こと

『日本の思想』(1961,岩波新書)の中に、丸山眞男の「『である』ことと、『する』こと」という評論がある。筆者は高校時代の国語の教科書で読んだ記憶があるのだが、最近どういうわけか、ビジネスの世界でこの評論の内容がチラチラと思い出されることが多い。

「自由は置物のようにそこにある・・のではなく、現実の行使によってだけ守られる、言いかえれば日々自由になろうとする・・ことによって、はじめて自由であり・・・得るということなのです。」と丸山は述べている。

これは経営やマネジメントの世界でも、全くその通りだと思うのだが、なんらかの権利や権限がある・・ものとして、「する」ことをしないまま、「である」状態で形骸化されていく例も多いように思う。例えば、経営者が自らの言葉で、あるいは従業員を巻き込んで長い期間をかけて、ビジョンや理念を創り出したとしても、それがどこかの貴賓室や社長室に掲げられているだけでは「である」ことと同じである。どれだけ日常のマネジメントに、あるいは戦略に埋め込まれ、従業員ひとりひとりの業務にリンケージされているかが重要であり、それが「する」こと化されている状態なのであろう。

さらに同論評では、「まさに『である』論理・『である』価値から『する』論理・『する』価値への相対的な・・・・重点の移動によって生まれたものです。もしハムレット時代の人間にとって“to be or not to be”が最大の問題であったとするならば、近代社会の人間は“to do or not to do”という問いがますます大きな関心事になってきたと言えるでしょう。」とも述べている。卑近な例で恐縮だが、先日カフェで隣に座った3人組のひとりが、2人に向かって「僕が部長なんだから・・・」という理由で、部下への説得と指示を始めたシーンを見かけた。これは特別な光景ではないのかもしれない。

しかし、既定の関係性や肩書きで仕事をする時代はとっくに終わっている。部長「である」こと、一流企業「である」ことに(そう考えることや価値に)もはや意味はない。部長たる行動を「する」こと、一流企業たる振る舞いを実践「する」ことにしか意味はない時代なのである。

 

◆「し続ける」こと

さらに「する」ことの中で、注力点を加えさせていただくなら、継続するという価値が増しているのではないかと思う。すなわち「し続ける」ということである。

半ば必然的に、「し続ける」ことを意識すれば、経営や事業の全体を俯瞰しながら長期的な視点で物事を考えなければならない。長期的な戦略ということになるだろう。言葉で表すと平易に聞こえるが、長期的に考えるという意味は、経営の意思決定や現場のActionを先延ばしにすることでも、棚上げすることでもない。ビジネスで勝つことではなく、勝ち続けることであり、そのために何をするかを決めることである。

長期的に考えた結果、短期的な考察をした場合の結論と真逆のto doを行うという結論に達することもあるだろう。むしろ、そこにこそ「し続ける」大きな価値が潜んでいる。いずれにしても重要なのは、どのようなto do、すなわち「する」ことを決めることだ。しつこいようだが、考察するのはActionを起こすためである。どんなに素晴らしい戦略でも実行されなければ意味はない。

もう一点重要なことは、長期的視点に立って考察すれば経営の本質に近づくことができる点にある。ステークホルダーはもちろんのこと、将来市場・将来顧客、あるいは社会全体との関わりを考えないわけにはいかない。そもそも会社組織は社会の課題を解決するために存在している。我が社は今、あるいはこれから一体どのような価値や課題解決を、現在あるいは将来の社会へ向けて行っていくのか、真摯に自問自答することにKAIKA※的な価値があるのではないだろうか。

※KAIKA
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