コラム 経営の羅針盤

続・伊勢遷宮に寄せて 2013/10/15 コラム

JMAマネジメント研究所 主管
肥本英輔

◆ 日本の強みの源泉を探ねて

この5月、伊勢神宮を初めて訪れて、その凛としたたたずまいに驚愕するとともに、日本のものづくりの原点を見た、というようなことを以前この欄で述べた。そして、その象徴として、神々が住まう社殿を20年ごとに建て替えるという日本人独特の柔らかな思考方法や、1300年間も同じことを寸分たがわずに繰り返すという実直さが日本のものづくり力の強さを支えている、とも述べた。

さる10月初旬、今度は、日本CTOフォーラム(日本企業の技術系トップの異業種交流会)のメンバーとともに、あらためて日本企業の強みの源流を探るべく、1泊2日で伊勢地方の優良企業や伊勢神宮を訪問した。

そこで、今回は、もう少し日本の強みについて整理して考えてみたい。

当日、現地会場でご発表いただいた積水インテグレーテッドリサーチ主席研究員の仲義輝氏によると、日本の食感用語は445もあるという。一方、美食大国のフランスには227、中国には144しかないらしい。ちなみに英語は77というから、どおりでイギリスの料理がパッとしないわけだ。また、色彩を表す日本語は540に上るという。これも四季の変化に富む日本ならではの特色である。こうした日本特有の味覚や感性は、充分に日本企業の強みになりうる資質といえよう。

では、こうした日本特有の資質は、どこから生まれてきたのだろうか。
その源流を探るには、もっともっと時代をさかのぼらなければならない。

 

◆ 世界が驚く縄文の技術力

最近のハイテクを駆使した研究などにより、縄文人の技術が極めて先進的で独創的であったらしいことが分かってきた。例えば、磨製石器については、世界的にもかなり早い時期から使用されており、土器にいたっては世界最古といっても過言ではないらしい。特に縄文時代に入ってからの土器や土偶の形状は、ご存知のようにきわめてユニークである。そして圧巻の事実は、他の同時代の土器が貯蔵用だったのに対し、縄文土器は、もっぱら調理用、すなわち栗類や魚貝類の煮炊き用に使われたのだ。つまり、当時としては、世界に抜きん出て多彩なグルメ生活を満喫していたことになる。工芸品も驚くほどに洗練されていた。かつて漆は中国から弥生時代ごろに伝わったとされていたが、北海道の遺跡から9000年ほど前の漆の装飾品が見つかっている。6000年ほど前には見事な朱塗りの櫛が福井県鳥浜で発見された。どうやら土器や漆工芸などは日本のほうが古いようなのだ。

また、この時代は人口も少なく、食生活が豊かであったがゆえに争いも少なかった。その証拠に、発掘された人骨はほとんど争った形跡がない。周辺には、年老いた犬を丁寧に埋葬した遺跡も見つかっている。こうして争いの耐えない大陸と隔絶したまま、人類史上稀に見る平和な生活を1万数千年も続けることができたのだ。

近年のめざましい科学技術の発達により、こうした事実がどんどん明らかになるにつれ、「縄文人は先住民」という固定観念が払拭されつつある。「これほど優秀な縄文人は日本人の祖先に違いない」という心理作用が「弥生・縄文融合論」を誘導しているかもしれないが、最近の大がかりな遺伝子分析の結果も、概ねこの融合論を支持している。

つまり、1万数千年間、多様な種を育むおおらかな自然環境と共生してきた縄文人の柔らかな感性を基盤として、弥生時代にやってきた渡来人(その主体は北方ツングース系ではなく揚子江下流域の稲作農耕民)との文化的な融合と混血が進み、今日に至る日本人の原型が形成されたらしい。彼らは水耕稲作システムを北九州から東日本に広める過程で、さらに混血を進めながら集団としての運動展開能力を高め、規律と調和を尊ぶ弥生文明を日本全土に広げていった。(ちなみに、縄文人と弥生人の融合が力説される根拠として、戦闘で破損した縄文系人骨の発掘例が極めて少ないことが挙げられている)

伊勢神宮を色濃く包む太古の自然信仰と弥生的な秩序ある遷宮行事の融合は、こうした歴史のしっかりとした積み重ねのうえに成立しているに違いない。

もしそうだとすれば、この事実に、我々日本人はもっと自信と誇りを持つべきではないか。世界にこれほどの奥行きのある先祖の営みを有する民族は他には1つもないのだから。

 

参考文献:『縄文の思考』(小林達雄著 ちくま新書)ほか